セックスというものの意味

こんにちは。


この話は、本当に前のブログからもよくしていますが


私はサイレントになって後からの8年間ほどは、毎日相手との
エネルギー交流というものがありました。


出会って15年ですが最初の方はそこまで感じなかったのですが
一度相手と手を繋いでから、そのエネルギーというものが入って来て以降です。


そしてこの15年間一度も相手とは性的に交わったことがなかったにも
かかわらず、一度も連絡もつかないサイレント期間中でも毎日
性エネルギーというものが湧き出てきていたのです。


もともと性欲というものがないに等しかった自分なのに、この変容に
自分でも驚きました。


本当に1日3回とか、5回とかありました。


単純計算して、1日3回 1年1000回くらい×8年ですと 8000回くらいになります。


病気の時(1~2年)や体調がすぐれない時、などをのぞくと


多分5000回くらいは性エネルギー交流がなされていたと思います。


その実情とは、本当に勝手に腰が動いたり、勝手に濡れてきたり、ムズムズしたり
なにもしてなくても相手を感じるだけでオーガズムに達するという感じでした。


その行為はとても幸せでした。


今、こうして相手とやっと結ばれたから言える事ですが
こんなことをブログにのこのこと書いていたと思うと本当に頭がおかしいのか?って
思われそうですね。


出会う前の私といえば、セックスなんて行為、一人の人となんてすぐに飽きちゃうんだから
たくさんの人としても別にいいんじゃないの、という考えの持ち主でした。


しかし、その考えは覆させられました。


どうしてこんなに長年にわたり5000回以上も同じ相手に対して、オーガズムを感じるのか、
それは現実の肉体を結合させるものではないエーテルセックス、魂のセックスと言われているものですが
それにしても全然飽きないどころか、日がたつにつれて、毎回よくなっていました。


そして、一度も肉体的に結ばれたこともなくそんな魂のセックスを経験していたわけですが、この度出会いから15年たち、45歳になってはじめて相手と結ばれたわけですが


本当に、エーテルセックスと現実のセックスとは全く違うものだなと思いました。


よく言われていますが、本当に肉体的に交わると、相手との境目がわからなくなり
肌もピタッと吸い付き、できることなら死ぬまでずっとこのままの体制でいつまでもこうしていたい。
まるで充電器のように、心身ともに充電できる。と言った感じです。


何か疲れていることがあれば、疲れもふっとぶ。心も体も満たされる。


本当に神様ってとても素晴らしいものを創造されているのだな。と心から敬意を表したく
なります。


それが、今の世の中、この神の素晴らしい創造が、間違った知識によって、とても苦痛な思いをしている女性がたくさんいる現実に悲しくなります。


どうしてこんな素晴らしいものを学校で教えたりしないのか。今はyoutubeなどで
この素晴らしい世界を発信している方も多いですが、まだまだです。


本当に心身ともに満たされ、安らぎに満ち、満足のいくセックスを経験されている女性は私の想像から1~2割だと思っています。


こんな素晴らしい神の創造を享受できないというのは、とてももったいないこと。だと
思ってしまうのです。本当に、学校で受験勉強ばかりやっている世の中でしたので
こうした真のすばらしさが全くおざなりにされていた現実、性というものが隠さなければ
いけない、どこか恥ずかしいという観念を植え付けられて、なぁなぁになっていた事。


多分男女が心からこの喜びを感じれば、この世から心療内科というものが消えてなくなると
思うくらい、心身ともに健康になれるものだと思います。


私はこのことを恥ずかしげもなく発信していきたいと思っています。


先月はじめて肉体的にも交わってから、私の生理周期がピッタリと28日で、生理日が
満月と重なりました。体の調子もよく、肌艶もよく、太ったらこんな体見せられないな。という緊張感もあるので食べるものにも気を使い、


お相手様も、筋トレをして久々に肉体を鍛えているそうです。


気持ちも前向きになるし、本当に素晴らしいものです。
毎日神様に、こんなに素晴らしいものを創ってくれてありがとう、と感謝の気持ちを
混めてお話しています。

診療内科が流行っている現実

こんにちは。



ミッドライフクライシス(中年の危機)という記事を見ました。



今の自分に当てはめて、これは本当だろうか?と思ってしまいました。


なぜかというと、今の自分は幸せに満ち溢れ、先の事を考えるだけでわくわくして
生きる希望に満ち溢れているからです。
本当におおげさではなくて、朝から何兆個という細胞ひとつひとつに喜び、幸せが
充満して、それで涙がでて起きてしまうこともあるくらいなのです。


そんな自分の現実と、中年の危機で自分は無価値だと答えた人が半数近くいる
というこの現実に驚きました。


コメント欄で見た、朝から心療内科に行ってきたが、待合室が人だらけで
いっぱいで混雑していたと。


本当に心療内科が流行るこの国はとてもおかしいと思ってしまいます。


私も25年くらい前は体の不調、こころのやまいで心療内科に何か所か通いましたが
本当にその時の気持ちは、生きていることが辛くてどうして生きなくてはいけないのか。
といった心情でした。


本当に生命エネルギーというものが自分でもないというのがわかり、地上にたっていても
ふらふらとした感覚があり、グラウディングができていない、常に車酔いでも
しているんじゃないかという不快感でした。


あの時は本当につらかったです。今までは自分の行動力のなさというものが
マイナスだと思っていた時もありましたが、その性格がかえってよかったのだと
今は思えたりしました。


どういうことかというと、なまじ自分に行動力というものがある性格だったとしたら
絶対に、もうこの世にはいない。と思うからです、
自分を自分で亡くすというものにもとても行動力がないとできない行為です。


なんとか、だましだまし生きていた。辛くても死ぬこともできず、ひきこもってでも
生き抜いていた。


それが今になってみるとかえってよかった。と思いました。


大マイナスからの大プラス転換とでもいいますか、本当に今はとても幸せに満ちています。


自分がもっていないものをすべてもっている相手と出会えたというのは本当に生きる上で
とても助かります。補完関係でやっと一人の人間になれた。という充足感。


人としてのバランスがとれようやくここから。と言った感じです。


やはり、一つの魂との出会いというのはかけがえのないものですね。そんなドラマを
ひとりひとりに用意してくれている宇宙の創造というものは素晴らしいと思ってしまいます。


心療内科というものは大切ですが、それが流行っている社会というのはどうしても
違和感しかありません。私は今心療内科というものが消える世の中を想像しています。
それを見届けてからではないと自分の星に還れない。と言う思いでもいっぱいです。

何かがざわざわ


水面下で



なにかが



ざわざわと


魂に



ひびいている


はて?



この胸騒ぎ