あまりのシンクロニシティの多さに驚く

こんにちは。


また早速書いています。


以前頻繁にブログを書いていた2016年ごろから時は流れ、2023年になりました。
2023年3月7日に突然、私の人生がまた息を吹き返しました。


連絡が繋がって以来、本当に親友のように、小学生のときに仲良しだった同級生
のように、今まで10年間、まったく離れていたとは思えない会話が始まったのです。


まず、私が驚いたことに、離れていた期間に私たちは全く同じことをやっていたのです。
私が神奈川から実家に戻っていたので田舎生活に戻り、そこからなぜか急にハーブや
家庭菜園の事に興味がわき、2019年ごろから30種類~50種類くらいの植物を育て始めました。


同じころ、彼は住まいを引っ越し都心の賃貸から一軒家を購入していたようです。
そして、私が今野菜をたくさん育てているんだ。と言ったところ
なんと、彼もその都心の狭い庭で、プランター栽培をしていて、私に負けず劣らずの
すごい数のお野菜を育てていました。


写真も送ってもらったのですが、普通の野菜だけではなく、スーパーで買った
すももやレモン、パパイヤ、アボカド,キンカン。隣の家の庭に落ちていた
ビワの拾ってそのビワの種も発根んさせて上手にプランターで育てていました。



最初私がこれをきいたとき、爆笑してしまいました。
超田舎と、超都会と差はありますが、全く同じことをしていたのです。
そして栽培をはじめた時期もほとんど同じでした。


そして私も好奇心があるのでアボカドの種を発根させていたのですが
私は失敗して育てることができませんでした。彼の方が私よりも上手でした。
それも同じ時期にそんなことをしていたのです。


どうして離れているのにこんな同じことをしているんだろ?と考えると
面白くて一人でニタニタわらっていました。


普通都会で家庭菜園するのはよくありますが、メジャーな野菜、ミニトマトやナス、きゅうりなんかを育てるくらいしかイメージがわきませんが
どうしてこんな好奇心旺盛にいろんなものを育てているのだろうか?
私の頭の中とまったく一緒じゃないか!と爆笑してしまいました。


これが最初のシンクロでした。
本当にその後、数々のシンクロに驚かされることになりました。


追記~記事を書いて読み直しましたが、そういえば最初のシンクロは同じ時期に
大きな転機を迎え引っ越しをしているというところもそうでしたね。今記事をみて
思いました!

現実生活に追われていて

こんにちは!


ブログを再開したものの、色々現実にやることがたくさんありすぎて
ブログの更新が頻繁にはできないですね。。。


前回とは全く違う話になりますが、


以前私が魂の片割れ(こう呼びます)についてブログを書いていたのが
7~8年前ですが、なんとその時に見て下さっていた方がおられて
メッセージをいただきました。こんな全然更新もしていないブログに
その当時見ていました。再会されてよかったですね。と言われて
ひゃ~!そんなこともあるもんだ。。。と思ってしまいました。


私も当時色々ブログを読んでいましたが、今はその当時書かれていたものは
まったく読んでおらず、その後のことなんて全然わかりませんからね。


どうしてここにたどり着かれたのか?やはりブログ村にまた登録してみたり
したからなのか?どこかで引き寄せがあるのかわかりませんが
そんなこともあるのですね!


ということで、全然更新頻度は高くありませんがまた書いたり書かなかったり
してみようと思います。


しかし、あの当時は本当に私はスピリチュアルにどっぷり浸かっていて
現実の方があまりみえていませんでしたが、今は現実生活のほうが充実しているので
多分ブログもこんな書いたり書かなかったりになっているのかもしれません。


これは自分でもとても良い傾向だと思っています。
また気が向いたら書いていきます。


といのは、本当に彼と再会してからと、それまでの期間に起こった出来事が
自分でいうのもなんですがドラマみたいに色々あったからです!


では皆様良い1日をお過ごしくださいませ。

拒絶されることへの怖れ

自分の中での何がこんなにも怖れを抱かせているのだろう?


やはりそれは幼少期の母親との関係にあったかもしれません。


自分の母親が忙しく、わたしの心が限界になり私が不登校になってしまった時の事です。


学校に行けなくなって、その時の担任が家に訪問してきたりして切羽詰まっていました。
ある晩の事。


わたしは母とそのことについて話し合っていました。
どうしても今までの感情があふれ出てしまい、母の膝枕の上で号泣しながら
「仕事をやめて、家にいてほしい。やめることができないなら、せめてパートにして
わたしが学校から帰るころには家にいてほしい。」
と泣いて訴えたのです。


その時は母も仕事が絶好調で昇給したり、えらい地位についていたり、出張なども多く
頑張っていました。母は子供の頃貧乏だったようで、どうしても自分の力で裕福な生活が
したいと思い仕事を頑張っていたのでしょう。


ですので、私がどんなに号泣して訴えようとも、母は仕事を辞めるという選択をしませんでした。パートに切り替えるという選択もしませんでした。
(その後母の頑張りもあり、父よりも年収があったと思うので、母は母の人生を生き抜いたのだと思いますが)


わたしは、このことが人生で最大の人からの拒絶であったと思います。


人生というのはなにもかも自分の思い通りにはいかないものだとその時に悟りました。
娘が不登校になり、家にいてほしいと懇願しているのに、そうする選択をしないという母の決断もいまでは理解することができます。
しかしその時は、わたしは本当に、この世のすべてのものから拒絶されたのだというくらいに悲しみがひどかったです。


以降、自分の本当の気持ちを人に言ったところで、拒絶されるという最大の苦しみを味わうのが怖くなって、回避依存傾向になってしまいました。


はじめから誰にも期待しなければ自分も傷つくことはない。誰にも近づかなければ自分は一生傷つくことはない。と


そんな感情があったので、一番震える魂に出会い、相手の魂が常に私にはりつき、寄り添って支えてくれている。などという事をその相手に言って拒絶されることを一番恐れていたのだと思います。


ですので、わたし的に相手にどうしてもコンタクトをとることができませんでした。